Incomparable H

海外暮らし あしかけ25年

ヤスクニ

先日書いた、靖国についての僕なりの考えをまとめたものは、残念ながらネット接続の妙で消えてしまったのですが、2つの要点だけかいつまんで書きなおします。

 

ひとつは、歴史家の端くれとして僕が漠然と思うに、たかだか100年くらいのことですべてを判断してはいけないということです。つまり、靖国という宗教団体の正当性の検証から始めるべきです。

 

その起源は、明治時代の官軍の守護神社として始まったものだと聞きますが、それはたかだか100年足らずの話です。官軍のつくった明治政府の政治的なプロパガンダとして歴史に登場するものであり、本来は西郷隆盛や賊軍はまつられていない。オール・ジャパンではないのです。福島の人、東北の人、よく考えてください。本当に日本という長い歴史をもつ国家全体を象徴するに値するものなのか、じっくり考えたほうがいいというものです。

 

ふたつめは、現在の世界のなかでどうみられているか?という点を考慮に入れないで、政治的な利用をしようとするから問題になるのです。国際的な受けとられ方を無視して、国内の論理や感情にしたがってゴリ押しすることが国益なのか?ということです。

 

どういう反論があるにせよ、ヤスクニは限りなくクロに近いものであると世界の大多数の人に見られてしまっているものを、シロに戻そうとしても出来るわけはありません。国際社会における日本のガラパゴス化が進むだけです。小泉氏の参拝がOKで、なぜ安倍氏のがいけないか?という疑問も呈されていますが、現在の国際状況を読み間違えた安倍氏の非は明らかです。

 

以下の記事は、この問題についてのアメリカの視点で、なかなか深い分析です。あの読売新聞でさえ、ヤスクニとは別の結論に達していたことが分かります。

http://toyokeizai.net/articles/-/28287