Incomparable H

海外暮らし あしかけ25年

イルカ

日本のとある地方のイルカ漁の話は、毎年のように欧州のテレヴィをにぎわすので、僕のような海外生活者はいつも肩身のせまい思いをしていますが、ついにアメリカの駐日大使も反対するコメントを出しました。ここのところケネディ氏は、着実に日本の古いメンタリティの岩盤をゆすぶっている感じがします。

 

たしかに、海が血で真っ赤になるさまは、誰が見たって人間の残忍さを示すものとしか映らないでしょう。自主規制の強い日本のテレヴィでは絶対に放映されない類のものでしょうから、おそらく擁護派の人々の多くは現実を知らないのです。

 

この映像と、たとえば旧日本軍などの過去の残忍さの話が、なんの根拠もなく渾然一体にミックスされて世界一般には流れていくわけです。その是非は別として、世の中はそういうものなのだ、どこの国でも「お茶の間」とはそういうものなのだ、という認識をもたないといけません。海外に住んだことのない人は、その辺はなかなか肌で感じることは難しいでしょう。

 

擁護派からは「固有の文化」というアーギュメントが使われます。一見してもっともに聞こえるものですが、これは「普遍的人権」とか「生命の尊厳」というアーギュメントには、かなわないものなのです。つまり、固有の文化では世界の大多数を味方につけることは難しいのです。

 

個人的な経験からいうと、数年前に漁業と深い関係にある家業をもつアダム君がベルギーに遊びに来たときにクジラ漁の話になり、彼はこのアーギュメントをもとにクジラ漁を擁護したわけですが、その後オランダに住むようになってからは、なんなく「転び」ました。彼一人に擁護派を代表させるのはフェアではないですが、一例として擁護派がいかに脆いものであるかわかると思います。

 

クジラ漁の擁護に懸命になる政治的な背景は、じつはマグロの禁猟を日本政府は恐れているということを聞いたことがあります。クジラは防波堤にすぎず、本丸はマグロなのです。さいわいにも、マグロの完全養殖にむけた技術的な基礎はきずかれつつあるそうですので、いまさら防波堤のクジラに固執する必要はないだろうというのが僕の意見です。今回のイルカの例もクジラの話につながることで、擁護派は躍起になっているのだと思います。

 

そもそも「クール」じゃないですよ。象牙の話もそうですが、どうして日本は常にマイノリティであることを望むのでしょうか?胸をはって世界の大多数をリードする、そういう国であるべきなのではないでしょうか?

 

以下の記事によると、ウナギの完全養殖も成功にまた一歩近づいているようです。マグロの話もあり。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1307/31/news045.html

 

以下の記事は、イルカ漁を問題にした映画『The Cover』にたいする日本の態度について議論しています。

http://katukawa.com/?p=3691